学園の概要

  • 理事長あいさつ
  • 津曲学園建学趣旨・津曲学園建学趣旨要約文
  • 学園の沿革

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世ニ稱ス山水秀麗ノ地往々偉人ヲ生ズト、之ヲ我ガ薩隅日ノ地ニ見ルニ、靈峯髙千穂巍々トシテ北秋ニ聳エ、大瀛ノ水洋々トシテ三州ヲ繞ル、更ニ之ヲ國史ニ稽フルニ、我ガ三州ハ畏クモ皇祖發祥ノ靈地ニシテ、肇國宏遠ノ曙光ハ實ニ茲ニ發セリ。神代三世ヨリ神武天皇ニ及ブマデ、我ガ祖先ハ克ク忠順ヲ輸シテ建國ノ大業ヲ翼賛シ、爾來大義ニ殉ヒ、遂ニ明治維新ニ至リ、俊髦輩出シテ回天ノ偉績ヲ弼成シ、大ニ祖風ヲ顯彰セリ。加之古來外國文物輸入ノ門戸トナリ、上下ノ人士亦採長補短、克ク儒佛両教ヲ消化シテ士風ヲ培ヒ婦德ヲ養ヒ、且ツ西教渡來ニヨリテ、西洋文明輸入ノ源ヲ啓キ、以テ明治文化ノ先驅ヲナセリ。

今ヤ我ガ國ハ世界三大強國ノ一ニ居リ、亞細亞ノ友邦ヲ指導シテ太平洋ノ平和ヲ確保シ、東洋思想ヲ基調トシテ西洋文物ノ粹ヲ拔キ、以テ東西ヲ融合セル世界最髙文化ヲ建設スベキ地位ニアリ。是ニ於テ乎、我ガ三州人ハ此民族的大使命ノ遂行ニ於テモ、亦率先其任務ヲ果サザルベカラズ。而シテ其途多端ナリト雖モ、其根本ハ教育事業ノ完成ニ如クハナシ。是レ余ガ教育報國ノ爲ニ一身ヲ献ゲントスル所以ナリ。

惟ミルニ我ガ祖兼矩學ヲ究メ德ヲ磨キ世道人心ヲ益セントセシガ、不幸早世シテ其志成ラズ、余ガ両親深ク是ヲ遺憾トシ囑スルニ之ガ繼承ヲ以テス。殊ニ母ハ現今入學難ノ聲髙キ女學校 建設ノ急ヲ説ク、茲ニ微力ヲ顧ミズ、蹶然起チテ此天與ノ教育的環境ニ據リ、先ヅ髙等女學校ヲ建テ、漸ヲ追ウテ上下一貫ノ學園體系ヲ造リ、一ハ以テ現時教育施設ノ 缺陷ヲ補ヒ、一ハ以テ大ニ私學ノ特長ヲ發揮セントス。冀クバ我ガ學園ニアルモノ、自律自重研學撓マズ、恊同一致義勇公ニ奉スルノ精神ヲ養ヒ、内ハ以テ萬世一系ノ皇室ヲ翼賛シ奉リ、外ハ以テ世界文化ノ 進運ニ寄與センコトヲ。

大正十一年十二月十二日
鹿兒島津曲學園設立者 津曲 貞助

山や海の自然が美しい地には、往々にして偉人が生まれると、世の人々は言う。このことを私達の鹿児島の地で考えると、北の地には高くそびえる大きく神聖な山、高千穂があり、鹿児島の周りには洋々とした豊かな海が取り巻いている。さらに、日本の歴史を顧みると、鹿児島は、皇室御先祖のゆかりの地であり、建国の夜明けの美しい光は、ここから始まった。「ににぎのみこと」、「ひこほほでみのみこと 」、「うがやふきあえずのみこと」の三代の神様から神武天皇まで、私達の祖先は十分に真心をつくして、国を建てるという大きな事業に力を添えてお助けした。その時から、君国に対して国民のなすべき時には命を捨て、また、明治維新には優れた人材を続々と世に輩出して、わが国の時勢を大きく動かし、極めて優れた功績をあげ、鹿児島の名を高めた。それだけでなく、鹿児島は古くから外国文化の入口となり、地位の高い人や低い人の教育も、長所をとり入れ欠点を補い、十分に儒学・仏教を理解し、士の気風を養い婦女の守るべき道徳を育て、さらにキリスト教が外国から渡って来たことに伴い西洋文化を取り入れ、それをもって明治文化の先駈けとなった。

今私達の日本は、世界の三大国家の一国であって、アジア諸国と協力しながら太平洋の平和を確保しつつ、アジアの文化を基調として欧米諸国の文物のすぐれた点を取りいれ、東西を融合した世界最高の文化を創るべき立場にある。そこで私達鹿児島の人々は、わが国に課せられた、この大きな責務の遂行においても、率先してその任務を果たさなければならない。その方法はいろいろあると思うが、その根本は、教育事業を完成することであると信じる。以上、私が教育をもって国家のために力をつくすべく、自分の身を捧げようとする理由である。

思うに、私の先祖肝属兼矩(きもつきかねのり)は、学問を究め人徳を磨いて、世の中の発展や人々の役に立とうとしたが、不幸にして早く亡くなり、その思いはかなわなかった。私の両親は、そのことを非常に残念に思い、私にこれを受け継ぐことを頼んだ。特に母は、現在入学が困難である女学校建設を早急に、と言い続けた。そこで私は自分の微力を顧みず決断をして、このすばらしい教育的環境の地に先ず高等女学校を建て、そして次第に幼稚園から大学までの一貫教育体制の学園にし、それによって今ある教育施設の欠陥を補うとともに、大いに私学の特徴を発揮するようにしたいと考える。私達の学園に在職する人々は、どうか自律自重して研究学問にはげみ、互いに協力し合って国家・社会の正義の為に身をささげる精神を養い、内においては永遠に続く皇室をお助けし、外にむかっては世界文化の進展に貢献して欲しいと願う。

大正 11 年 12 月 12 日
鹿児島津曲学園設立者 津曲 貞助

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